「創設80周年特別展 日本民藝館所蔵 沖縄の工芸」記念講演会へ~その②~ The seminar of Okinawa textile in Nihonmingei-kan

レクチャーの続きです。

沖縄に関して言うと、私は仕事で何度か訪れたことがある程度で、あまりよく知らないというのが、本当のところです。沖縄の持つ独自の文化圏について、きちんと学んでみたいと興味を持ち始めてから、少しかじり始めたというくらい。

今回の展覧会では、柳宗悦と共に昭和14年暮れに沖縄に渡り撮影した坂本万七の貴重な風物写真の数々が展示されていました。そこに写る沖縄の人々、まるで別の国!全く異なる文化圏を琉球王国のなかで培ってきた土地なのだ、と大変驚きました。

現在の沖縄諸島を450年にもわたり支配してきた琉球王国。この時代を沖縄の文化を学ぶ上ではよく理解していなければいけないところですよね。

琉球王国は、1429年~1879年の450年間琉球諸島を中心に存在していた王国です。東シナ海の中継貿易で富を築き、江戸時代に入ると薩摩藩の侵攻を受け、藩の監督下に置かれることになりますが、対外的には独立国として、中国、日本の影響を受けつつ独自の文化を築いてきました。

■王朝時代の装束
琉球王国の装束についてみてみましょう。

この絵は、王子按司大礼服並通常服着装図。王子の装束を描いたもので、右が大礼服(五色浮織冠に緑袍)、左が通常服。

右側の装束:赤い帽子のようなものは、「はちまち」と呼ばれるもの。腰に巻いている大帯は身体の前で結んでいます。きものは芭蕉布で通常こういった濃い緑色を着るのが、王朝時代の上級士族の正装でした。左側は、普段着。

そして次は女性です。この絵は、王子夫人大礼服並通常服着装図といい、王朝時代の士族の女性の装束を描いています。

右が礼服、左が普段着です。


王子夫人大礼服並通常服着装図

独特なのはこのヘアスタイルですよね~。上級士族や平民では当然ヘアスタイルも異なったそうですが、とても面白い形。
女性の装束の最大の特徴は、一番上に羽織るきものに帯をしていないことです。そのため、きものの形もえりが非常に長くなっていて、えり先に揚げがあります。
何枚も重ね着しているのがわかりますね。一番上に着ているきものは紅型だそうです。下に着ているきものは、左の場合、格子柄のようです。異なる柄のものを重ねて少し引きずるくらいの長さで着ていますね。
次は、首里士族通常服着装図です。普通の士族たちの装いはどうだったのでしょうか。
首里士族通常服着装図
より、ガウンぽい印象です。やはり男性は帯を前に結んでいますね。
女性の装いは、ロングドレスのようで、なんだか素敵ですね。
※画像は東京国立博物館の画像検索から
■民藝館の所蔵品
民藝館に収蔵されている沖縄の工芸品の内訳は、
<織関連>
きもの      298枚
帯        42本
御絵図(みえず) 28枚
御絵図というのは、きものをつくる時のデザイン画のようなものだそうです。
<紅型>
きもの      73枚
ウチクイ(風呂敷) 248枚
型紙       48枚
があります。それぞれの特徴については、つづく。。。
あこや

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