世界遺産 富岡製糸場へ Tomioka Silk Mill


8月に入りまして、皆様いかがお過ごしでしょうか。

そろそろ夏休みだわ、という方も多いことでしょう!東京に限らずですが、日々猛暑に見舞われ、日中は街中の人もまばら。。。危険な暑さです。コロナもありますので、それぞれに気を付けながら過ごしたいものです。

さて、少し前の話になりますが、世界遺産 富岡製糸場 へ行ってきました!

これまで、なかなか行く機会がなくて、やっと、やっと伺うことが出来ました。(笑)


テクテクと歩いていくと、正面にそれらしきものが見えてきました。

富岡製糸場です~。


この表札?が歴史を物語っていますね。

中へ入るとチケット売り場があり、順番に中に案内されるというものですが、平日だったので割とすいていました。中ではイヤホンガイドを渡され、案内してくれるガイドさんの声がよく聞こえるような工夫がされています。


奥に見えるレンガ造りの建物、「おお~とうとう来たな~」という感じがいたしました。


建物中央にあるアーチ状の屋根がある通路。真ん中に「明治5年」と書かれた要石があります。

富岡製糸場の建設はフランス人指導者ポール・ブリュナの計画書をもとに明治4年(1871年)から始まり、翌年の明治5年(1872年)7月に主な建造物が完成、10月4日には操業が開始されましたそうです。

鎖国政策が終わりを迎える江戸時代末期、生糸(絹糸)は、日本最大の輸出品。明治維新後、富国強兵を目指した政府は、外貨獲得のため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決め、それが富岡製糸場というわけです。

通路を抜けて、建物の反対側へ。

創業当初に建てられた富岡製糸場の建造物は、横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが図面を引き、日本人の大工や職人によって建てられました。
これらの主要な建物は、木の骨組みに、煉瓦で壁を積み上げて造る「木骨煉瓦造」という西洋の建築方法で建てられましたが、屋根は日本瓦で葺くなど、日本と西洋の技術を見事に融合させた建物になっています。

レンガの壁に大きな窓がたくさん。


2階部分が、蚕たちのお部屋だったんですって。
そう、ここは国宝に指定されている「東置繭所」。1階は事務所、作業場などとして使い、2階に乾燥させる原料繭を貯蔵していたのだそう。


レンガ造りは当時のままなんだとか。当時の女工さん達もこの壁を見ていたのかなぁ。

ガイドさんから、このレンガの積み方について説明がありました。


よくみると、長いレンガと短いレンガが交互に積み上げられているのがわかりますか?
これがフランス式の特徴なんですって。そして、レンガの色も様々ですよね。これは富岡製糸場初期の頃の建物の特徴だそうで、その理由は瓦職人さんたちが試行錯誤しながら焼いたので、最初の頃は色のばらつきが多いんですって。

でも、それがまた、いい味出してますよね。


こちらの建物は、「検査人官」。こちらのレンガはもう綺麗に色が統一されています。フランス人用の宿舎として建てられたものだそうです。2階は貴賓室があるそう。

お次は。


国宝の繰糸所。


こちらは、繭から生糸を取る作業が行われていた場所。創業時は、フランス式の繰糸器300釜が設置され、当時世界最大規模を誇っていたそうです。


中に入ると、ずらーっと並ぶ自動繰糸機。これは昭和41年以降に設置されたもの。日産製とお聞きしました。


天井の構造も綺麗ですね。

次はこちら。首長館。ブリュナ館とも呼ばれています。


ブリュナさんが住まわれたところだそうで、このベランダで赤ワインを飲んでいるフランス人を見て、当時の日本人は、「フランス人は血を飲んでいる!」と恐れ、当初、女工たちが思うように集まらなかったのだそうです。(笑)今思うとすごい話。

しかしながら、ここで働いた女工さん達には、今でいう福利厚生が整い、敷地内に学校があり、診療所もあり、そして日曜日が休日、という、当時としては先進的で優れた労働環境がありました。

訪れてみて思ったのは、建築遺構としての価値。そして、高品質な日本生糸の歴史を学ぶことが出来ました。ずっと行きたいと考えていたので、やっと伺えてよかった。

ご興味ある方はぜひ!足を運んでみてください。近くにおいしいイタリアンのお店もありましたよ☆



あこや

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