立春の京都旅その②~千總460年の歴史–京都老舗の文化史–at 京都文化博物館〜

いつもお世話になっている總屋の福島さんです。

学芸員ツアーに私たちと一緒に回って下さいました。店長の金崎さんもいらしたのですが、お写真撮れなかった。

この日参加していた方の多くが總屋さんのお着物を着ていらっしゃいましたね。こうしたお客様向けの楽しい企画を總屋さんは結構開催しています。ホームページなどで告知もされていますので見てみて下さいね。

さて、展覧会ツアーの続きです。

今年創業460周年を迎える千總は、弘治元年(1555年)に法衣業(=僧尼の着る衣服専門メーカー)を創始した初代千切屋興三右衛門(西村貞喜)を祖としてスタートしました。

千總という名前は、三代目にあたる千切屋惣左衛門が千切屋三家の一つとして千切屋の千と惣左衛門のそう(總)から名付けたそうです。

千切屋三家とは、

千切屋治兵衛(千治)、
千切屋總左衛門(千總)、
千切屋吉右衛門(千吉)、

を言い、この三家とも、現在に続く呉服屋であり、各々友禅の呉服問屋としてご商売されています。千切屋というのは屋号で、創業家一族の姓は西村と言います。現在の千總社の会長の名前も西村さんです。

千切屋の一門は、江戸時代に京都は衣棚町を中心に興隆し、惣左衛門家は主に東本願寺を中心に法衣(織)を取り扱いました。江戸時代後期頃になると、友禅(染)も手掛けるようになります。

※道服

今回の展示では、法衣業として商いをしていた頃の道服(袈裟など)やデザイン画なども多く見られました。今から考えると豪華な道服がたくさん。。。寺社仏閣に権力と富が集中していた時代がうかがわれます。

明治期になると、天皇の東幸や周辺の公卿の東京移転、廃仏毀釈や閉鎖に追い込まれる寺などの社会の大きな変動の中で、京都の産業界は生き残りの模索を余儀なくされます。そんな中、漢学者三国幽眠の息子・直篤は、西村家の養子となって十二代西村總左衛門となります。この十二代目の活躍が今日の千總に大きな影響を与えたことが理解できる展示でした。

十二代西村總左衛門は、この大変動の窮地において、新しいビロード友禅などの技術によって新境地を開き、海外博覧会にも出品してその名を広く知らしめました。この辺りから、千總が美術染織の一翼を担う存在となっていきます。

室内装飾品など贅を尽くした一級品が当時の宮内庁など買い上げられ、今回の展覧会で里帰りしたという作品もありました。

この他、千總が研究のために収集している歴史的価値のある小袖等もコレクションも展示されていました。

※牡丹藤花束青海波文様小袖 江戸中期

※秋草筒井筒文様小袖 江戸後期

総柄は身分が高い証で、小袖によっては腰から下の部分のみ、裾のみ、と文様が施されている範囲が異なるものがあり、それらは全て身分の違いからなるものだそうです。

これ以外にも、展覧会の目玉でもある、円山応挙の保津川屏風が10年ぶりに公開されたりと、千總社のもつ名品の数々も展示されていました。

今回の展覧会は、解説がなければなかなか理解が出来ないものも多かったので、学芸員の加藤さんの解説付きツアーは見応えがありましたね。楽しい企画をありがとうございました。

最後に總屋のお店の前で。

※今回の写真や記載内容はツアーでの解説及び全パンフレット等から掲載しています

 

あこや

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