秋の染織文化講座第2回目:江戸期の小紋についてby丸山伸彦氏(武蔵野大学)&長板中形/藍形染の松原伸生氏〜その①〜

日本染織文化振興会が主催している秋の染織文化講座に参加しています。

2回目の今回は、江戸期の小紋について、武蔵野大学 丸山伸彦先生方の講義と、2限目は、先日、日本橋三越で開催されていた「第61回日本伝統工芸展」で最優秀賞にあたる高松宮賞を受賞された長板中形・藍形染の松原伸生氏の講義でした。

少しではありますが、講義メモをまとめておきます!

丸山先生の講義メモ「江戸時代の小紋/長板中形について」

○小紋とは、江戸時代、武家の装束であり、小さな形を持った具象的なものが描かれた装束を指し、その形が小さければ小さい程、また、表と裏に同じ模様が染まっているものが価値が高いとされた。

この絵は、長谷川等伯が描いた「武田信玄」と言われていますが、この時代(16世紀末頃)の武家の装束が見られる絵の一つです。※最近の調査で、武田信玄ではなく別の人物であったことがわかってきたそうです。

衿もとをみると、花柄が描かれた辻が花の小袖に、細かい模様が描かれた装束を着ています。これが型染めの小紋です。前述したように、この時代の小紋は、表と裏に同じ柄を染めており、長板中形の技法を用いて染められていたことがわかっています。

江戸時代の文献が数冊紹介され、そこに描かれる小紋から当時の小紋がどんなものであったのか紐解く内容の授業でした。

また、長板中形についてまとめられた、伊勢丹研究所の映像を拝見しました。
人間国宝の清水幸太郎氏の製作過程が映し出されます。

長板中形ほど、江戸時代の姿が伝わっている技法はないそうです。
丸山先生の講義で、長年のもやもやが少し晴れた気がしました。

私はずっと、小紋てどこまでをさすのと思っていました。

夏、竺仙さんなどの反物を見て、これは小紋っていうものにはいるのかしら、、、でも、雑誌などでも誰も小紋とは言わないから、違うのかな、、、と。

本来、江戸時代には小紋と長板中形の区別はなく、江戸時代の主流であった染めの技術が長板中形なのである、ということがよく理解できました。つまり、この次の授業に登場する、松原伸生さんの仕事は、明らかに江戸時代には小紋と言われるものだったのですね。

んー、この理解で合ってるかな。。。汗

それから、江戸小紋については、昭和30年代に整備された考え方で、この概念は江戸時代にはなかったんですね。こういうことも、これまで考えたこともなかったのですが、現代において伝統工芸を系統立てて分類するためのものなのですね。

その意味で、長板中形も、私たちにとっては技法そのものというよりも、きもののジャンルという認識が強い理由となっています。

浴衣の話から、「注染/籠付(籠染め)」の話題に。これは、明治時代、浴衣を量産するために生まれた技法だそうです。

この辺りの理解というのも、私、適当だったなぁ。
長板中形の詳細については、次の授業内容と交えて、別途書きますね!

あこや

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