京絞り寺田 草木染のきものと帯展Ⅱ〜その③〜 Kyoshibori Terada exhibition

日本における染織の歴史

日本における染織の歴史は、なんと縄文時代にまで遡ります。愛知県知多半島にある紀元前1000年、縄文中期の貝塚遺跡から穴のあいた「アカニシ」の貝殻が出土。このアカニシは、動物染料である貝紫を分泌する貝で、この時代から動物染料での染織があった事がわかります。
※色を染める染料には、天然染料と化学染料があり、天然染料には動物染料と植物染料がある。

また、弥生時代中期の北九州吉野ケ里遺跡から絹を貝紫に染めた染織遺跡が出土。

更に、この吉野ケ里遺跡には甕棺墓があり、その棺から赤色に染色された絹糸が発見され、この赤色は顔料で染められた事がわかっています。朱(硫化水銀)が摺り込まれていたこの布は、摺り染めがこの時代行われていたことを示しています。

この摺り染めが行われていた時代の染料は動物染料でした。この後、5世紀ごろに浸染が登場すると、植物染料での染めがスタートします。また、同時代には養蚕が始まり、藍が大陸から伝来。紅花、槐(えんじゅ)もこの頃から染料に使われはじめた事がわかっています。現代につづく染織の礎が徐々につくられていくのが見て取れますね。

 

延喜式〜色の教科書〜

飛鳥時代、聖徳太子の時代になると冠位十二階制度という色彩そのものが地位を表す服飾制が制定されます。むかーし、むかし、歴史の授業で習いましたね!そう、紫が一番高貴な色と習ったあれです。

こうした官職の衣服の色が正式に分けられているという事は、それを染めるための染料についても当然規定がされてくるわけです。その後、国家統一のための法体系「大宝律令」が制定。そして、奈良時代の757年に出される「養老律令」の中で、植物染料の茜(あかね)、黄連(おうれん)、黄蘗(きはだ)、橡(つるばみ)などの名前が登場してきます。

さて、平安時代に入った927年に「延喜式」と呼ばれる律令の施行細則が定められます。施行細則というのは法律を執行するための細則の事。この14巻「縫殿寮」《雑染用度(くさぐさのそめようど)》において、色彩の名称やそれに用いる材料(染料植物)が定められます。

こちらがその延喜式。この写真は当然ですが、実物でなくて吉川弘文館から出版されているものです。

延喜式には、10種類にのぼる染料植物が定められていました。それも単一色による色の濃淡と重ね染めによって多彩な色彩を染め出していた事がわかります。平安時代にこの延喜式によって、日本古代の染織技術が大成したと言えるのだそうです!すごい!

〜延喜式に定められた染料植物〜
※ :以降は、平安時代の延喜式に登場する色彩名

  1. 紅花(べにばな):韓紅花(からくれない)、中紅花(なかのくれない)、退紅(あらぞめ)
  2. 蘇芳(すおう):深蘇芳(ふかきすおう)、浅蘇芳(あさきすおう)
  3. 茜(あかね):浅緋(あさきあけ)、緋(あけ)
  4. 紫草(むらさきそう)
  5. 支子(くちなし)
  6. 苅安(かりやす)
  7. 藍(あい):深縹(ふかきはなだ)、中縹(なかのはなだ)、浅縹(あさきはなだ)
  8. 黄檗(きはだ)
  9. 櫨(はぜ)
  10. 搗橡(かちつるばみ)

 

つづく

 

あこや

 

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