染織文化講座「産地研修 丹後」京丹後織物工業組合~その①~

4月はほぼ毎週京都へ来ていますが、この週末も!
今回は、染織文化講座の産地研修に参加する為に京都駅から京丹後にある峰山駅へ向かいます。

はじめての京丹後!そうです、縮緬(ちりめん)の産地で有名な丹後地方で今回の研修は行われます。

京都駅から2時間半ほど電車で日本海の方へ上がっていく丹後地方。天橋立など観光名所でも有名です。
次第に車窓から見える景色がなんとものどかな風景に変わっていきます。

天橋立駅からローカル線に乗り換えて峰山駅へ。この電車、1両電車なんですよ!可愛らしいバスの様な感じ!

やっと峰山駅に到着!屋根の上を見てください!この駅、機織り機の形をしているんです。すごいですね(笑)さて、ここから2日間、丹後縮緬についての研修がスタートです!

まず最初に向かったのはこちら。丹後織物工業組合です。こちらでは、丹後縮緬に関する講義、中央加工場の見学です!!

講義を担当して下さったのは、当組合の野村常務理事。講義内容を簡単ですがメモします!

【丹後縮緬とは】
丹後ちりめんは経糸(たていと)に撚りのない生糸、緯糸(よこいと)に1メートルあたり3,000回前後の強い撚りをかけた生糸を交互に織り込み生地にし、その後、精練することによって糸が収縮し、緯糸の撚りがもどり、生地全面に細かい凸凹状の「シボ」がでた織物のことをいう。(組合HPより)

※一般的な縮緬

【丹後産地の歴史】
丹後が縮緬の生産地として適していた理由
○雨の量が年間通して多く、湿度が高い
○養蚕地帯が近い(由良川水域)
○消費地が近い(京都)
○良質な水が豊富

【丹後縮緬の歴史】
江戸時代中期に西陣から縮緬技術を丹後に持ち帰った人々により、この地で縮緬生産が定着。
4世紀後半  古墳時代まで遡る。絹織物が丹後で発見されている。
奈良時代   絁(あしぎぬ)という、古代日本に存在した絹織物の一種で、
739年に聖武天皇へ献上するため、正倉院へ丹後から納められている記録ある。
江戸時代中期 丹後峰山藩(京丹後市峰山町)に住む絹屋佐平治(のちに森田治郎兵衛)が
(1720年)  京都西陣の機屋に奉公し、糸撚りやシボの出し方等、秘伝の技術を丹後へ持ち帰り
縮緬の製織を始める。
1722年    西陣から加悦谷(宮津藩)に山本佐兵衛が縮緬技術を持ち帰る。

【地方へ伝わる縮緬の技法】
明(中国)から堺へ伝来した縮緬の技法は、京都 西陣を経由し、丹後へ伝わる。
丹後では、技法の周辺地域への技術伝搬を積極的に行い、岐阜・長浜・但馬などへ伝搬した。

まだまだ続きます!

あこや

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