京都&有松への旅ー歴史ー その⑦ A short trip to Kyoto & Arimatsu

有松になぜ絞り?

SUZUSANを後にして、有松の町を歩きます。

名古屋で合流したお友達と一緒に♪

有松の町には、「ありまつ」と書かれた絞りの暖簾がそこかしこに。

とにかく町並みが昔ながらの雰囲気を持っていて、美しいのです。ここにも。

この通りは旧東海道。この通り沿いに、絞りのお店などが並んでいます。ここにも。

しかし、はじめて訪れてこんなことを言うのもなんですが、本当にこじんまりした小さな町で、なぜここが絞りの一大産地として全国的な有名になったのか不思議になりました。

 

有松絞りの歴史

有松絞りとは、名古屋市緑区有松を中心に生産される絞り染めの名称で、よく「有松・鳴海絞り」と言う名で語られます。鳴海とは、有松の近くに位置する地区の名前で、この二カ所で絞りが生産され、しばしば敵対関係になることも過去にはあったんだとか。伝統工芸品にも指定されていて、木綿布を藍で染めたものが代表的です。

現在の有松地域は江戸時代のはじめには人家の無い荒地だったそうです。そのため、先述したように、この地域を通る東海道の治安に支障をきたしており、尾張藩は人の住む集落を作るために知多半島からの移住する住民を募り1608年(慶長13年)東海道沿いに新しい集落として有松を開きました。

しかし、有松地域は丘陵地帯であるため稲作に適する土地ではなく、また東海道の鳴海宿までの距離が近かったことから宿場町としての発展も望めなかったといいます。そこで有松に移り住んでいた住人の一人である竹田庄九朗が、1610年(慶長15年)から1614年(慶長19年)にかけて行われた名古屋城の築城(天下普請)のために九州から来ていた職人が着用していた絞り染めの衣装を見て、当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施し手ぬぐいとして街道を行きかう人々に土産として売るようになったことが発祥の起源と言われています。

さて、こちらの方は、その竹田庄九郎の血を引く竹田嘉兵衛商店の竹田耕三さん。

産地問屋さんです。
写真じゃ見えにくいですが、総絞りのきものを着てらっしゃいましたよ!さすが!

こちらの竹田嘉兵衛商店の建物は、市の有形文化財に指定されています。

これがまた、立派な建物で、中にはお茶室まであるそうです。かつてこのエリアが絞りで大変豊かだったことが伺えますね。

うーん!立派。素敵な風情です。

有松絞りの繁栄は、尾張藩が有松絞りを藩の特産品として保護し、竹田庄九郎を御用商人に取り立てたことからはじまりました。旅人が故郷へのお土産にと、きそって絞りの手拭、浴衣などを買い求め、これが街道一の名産品となり、その繁栄ぶりは、北斎や広重の浮世絵に描かれているほど。日本人の憧れの「絞り」。そんな存在になっていきました。

こうして、有松が尾張藩の庇護のもと、絞り産業で長い間繁栄していたのですね。

つづく。

 

あこや

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