着物探訪☆沖縄・芭蕉布の旅〜その⑥〜

おまけ☆生引き体験

苧炊きを見学した後は、生引きを体験させてもらいました。生引き、というのは、畑から苧剥ぎをしてきた原皮を炊かずに生の状態から繊維を取り出す作業です。

生引きの糸芭蕉

これは、私が生引きして乾燥させた糸なのですが、これだけじゃなんのこっちゃわかりませんよね。(笑)

こんな感じで作業しておりました~!!!

Photo by 事務局

さて、私はどれでしょう、、、。
左手に原皮を持ち、右手にエービと呼ばれる竹でできた道具を持ってこれで原皮をしごき不純物を取り除きます。

喜如嘉の芭蕉布では、必ず炊いた原皮から繊維を採りますが、かつて首里で王族のために作られていた芭蕉布は、この生引きの糸で織られていたそうなのです。大変に高い技術を必要とするため、選ばれし職人によって生引きが行われ、高貴な人々のきものを織っていたそうです。現在、この生引きで得られた糸で製作される織物は沖縄の島々の中にはまだあるそうです。が、非常に難しかった!

この日はすごく寒くて、この状態での作業は凍えましたね。。。 でも、普段喜如嘉でもこの生引きはしない作業なので、貴重な経験をさせてもらいました!明日はいよいよ、実際に苧引き作業をガッツリさせてもらう予定です。

講義@芭蕉布織物工房

さて、生引き体験の後は、平良敏子さんの織物工房へ場所を移し、敏子さんの義娘であり、喜如嘉の芭蕉布組合の理事長である平良美恵子さんのお話を伺います。

工房は、芭蕉布組合から車で数分のところにあります。中へ入ると機織がたくさん並んでいました。17時に作業が終わるので工房の職員の皆さんは既にご帰宅されていたため、こうして中を見せていただけました。

ここで、東京の呉服屋さんで見る芭蕉布が織られているんだわー、と思うと感慨深いです。

さて、工房の2階へ移動。階段の壁には、 芹沢銈介さんの型染めが。

手前は 芭蕉布の糸巻きのシーンかなー。

平良美恵子さんのお話メモ
平良美恵子さんは、人間国宝である平良敏子さんの息子さんの奥様で、現在は敏子さんに続いて組合や保存会、工房の現場を取り仕切る方。美恵子さんの熱いお話に聞き入ってしまいました!以下、講義メモですが史実や年号の事実確認などはしていません。あくまで伺ったお話をメモしたものを記しているので間違いがあるかもしれません。あしからず!

お話くださる平良美恵子さん

1600年代の芭蕉布
紙屋敦之著「歴史のはざまを読む–薩摩と琉球」によれば、1609年島津侵攻により琉球王国崩壊。翌、1610年には、尚寧王自ら徳川家康がいる駿府へ出向く(連行)際に貢ぎ物として、芭蕉布50反、お櫃5つ、40人分の折敷き、酒壷3つ、螺鈿硯屏(らでんけんぴょう)に漆器(あこや貝などの装飾付き)等を持参した、と言われている。芭蕉布は江戸幕府への貢ぎ物だった。

この時代、芭蕉布は武士の夏用の裃として需要が高かった。裃の他に、夏合羽や袴などに重用され人気が高かった。

1714年倭漢三才図会(当時の百科事典)によると、絹布の部に芭蕉布が「はせお」という名で出てくる。同時に葛布も静岡は掛川の名産として出てくるが、葛布は経糸も緯糸も葛からとった糸で作られた布で、平安時代には貴族の中で人気があり、特に「葛袴」は憧れの的だった。しかしながら、葛布は江戸時代には既に経糸に別の糸を用いて制作されるようになっており、しかも、近代においては原材料の葛苧(くずう)を韓国からの輸入に頼ったため、昭和40年代に韓国から葛苧の輸出が禁止された事により、生産出来ない状態に陥ったと言う歴史がある。原材料の確保は、芭蕉布にとっても大変重要。よって喜如嘉では糸芭蕉の栽培に力を入れている。

江戸のぼりにおける芭蕉布
1610年ー1850年の間に18回の参勤交代で江戸に上り、献上品として芭蕉布1000反を11回納めた記録がある。(沖縄県史ビジュアル版近世8)糸芭蕉200本を切り倒して1反の着尺が出来るというのに、この時代に1000反もの芭蕉布を一体どうやって制作していたのか、と思いを馳せる。

当時の芭蕉布は、薄芭蕉、縞芭蕉、ロートン織など多岐に渡り、1854年江戸末期、最後の江戸のぼりとなる参勤交代では、琉球の反物1634反のうち924反が芭蕉布だったそうで、芭蕉布が献上品の大半を担っていたことがわかる。

芭蕉布が語る芭蕉布の歴史
過去の芭蕉布から様々なことを推察する。例えば、赤や黄色が鮮やかな1800年代の尚家の花織の芭蕉布。美しい赤や黄は当時貴族しか着られない色。この黄色の染料はなんだろうか。現代では、福木(沖縄では防風林として各所に植えられている)と捉えるのが自然だと思うが、当時、100年経たないと使い物にならないといわれる福木を簡単に切り倒すことが出来ただろうか、と考えると、他の可能性を思う。例えば、うこんや丁子といった生薬系の染料のほうが当時は手に入れやすかったのではないか、と推察する。

昔の芭蕉布クオリティを再現できない理由
糸芭蕉の質の問題があり、細い糸が出来ない。そして、その細い糸で、細かい絣を織り出す技術は、芭蕉布に一生をかけた60歳前後のあぶらの乗っている熟練の織り手でないと出来ない。

つづく


あこや

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