着物探訪☆沖縄・芭蕉布の旅〜その①〜
日本列島の南西に位置する琉球列島の島々には、大昔から様々な染織が存在し、現在も脈々と受け継がれています。
このブログでも、何度か沖縄周辺で生み出される染織について触れてきましたが、地理的環境や土着の風土が育てた各島々の染織品には、その歴史的、文化的背景も含めて、大変魅力があり、好奇心を刺激されます。
今回、2年振りに沖縄の地を訪れる機会を得ました。目的は、芭蕉布を学ぶためです。私が約4日間、芭蕉布にどっぷり浸かって来た今回の旅!大充実でした!そのレポートを複数回に渡ってブログでご紹介したいと思います!
■喜如嘉の芭蕉布
芭蕉布という織物をご存知でしょうか。正確には「喜如嘉の芭蕉布」をご存知でしょうか。
こーんな感じの織物です。(芭蕉布保存会のHPより)
この絣柄が、沖縄の織物という感じがしますね〜。
「喜如嘉の芭蕉布」とは、沖縄県の北部に位置する国頭郡大宜味村にある喜如嘉という場所で織られる自然布で、糸芭蕉と呼ばれる植物の茎の繊維から作った糸で織った織物の事です。
糸芭蕉というのはバナナの木の一種で、我々が食べるバナナが出来るのが実芭蕉、芭蕉布の原材料となるのは糸芭蕉。似ているけど、ちょっと違います。
これが糸芭蕉の木。
喜如嘉の界隈を歩くと、こうした糸芭蕉の畑が点在している風景に出会う事が出来ます。
■喜如嘉の芭蕉布 あゆみ
芭蕉布の歴史はかなり古く、柳宗悦の「芭蕉布物語」によれば、今から400年以上昔、慶長8年(1603年)に書かれた「琉球神道記」という書籍に「芭蕉布」という言葉が出てくるとあります。
琉球王国時代の芭蕉布で優れたものと言えば、首里で織られたもの。王族の御用品として織られた事で技術が進みます。それらは、煮綛(にーがし)と呼ばれた芭蕉布で、織る前の糸の状態(綛)を煮る技術からその名がついたようです。一方で、大宜味村で生産される芭蕉布は、反物になった後に精錬するのですが、一般庶民の夏衣として当時から盛んに作られていました。
1609年の薩摩侵攻。ここから、琉球王国の薩摩藩との従属関係が始まります。沖縄列島の一部(奄美大島や喜界島等)が琉球から割譲、薩摩藩を通して石高制が導入されます。芭蕉布はたびたび、幕府への貢ぎ物として献上されました。琉球の染織文化を紐解く上で、薩摩侵攻は触れないわけにはいかない史実ですね。(別途詳しく触れます)
時代は飛んで、昭和。
芭蕉布は、第2次世界大戦を経て、技術が絶えそうになった時期もありましたが、1974年に 「喜如嘉の芭蕉布」として、 国の重要無形文化財の指定を受けます。その立役者として、戦後、芭蕉布を必死に復興して来たのが、現在、喜如嘉の芭蕉布の人間国宝である平良敏子さん。今回、私がお邪魔した組合も工房もみんな平良敏子さんを中心とした 喜如嘉 の女性達の尽力によるものです。
つづく
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