沖縄への旅☆琉球の織物を訪ねて☆宮古上布 新里玲子先生~その⑮~ Discover the okinawa weaving

宮古上布の制作工程などが理解できたところで、車を走らせ目的地へと向かいます!



那覇から降り立つと、際立ってこの島が自然豊かな離島群の一つということを認識します。

完全なる「ざわわ」の世界!!
車から見える景色が、一面さとうきび畑!!
これは、都会のひ弱っ子からすると、なんとも刺激的な風景です。

さて、向かったのはこちら!
宮古島在住の染織家 新里玲子先生です☆

ご自身の作品を持ってパチリ♬

【新里玲子先生ってどんな人?】
新里先生は、宮古島生まれの生粋の宮古人。24歳のとき、宮古上布の伝統工芸士である下地恵康の宮古上布工場へ入門。3年後には、琉球王府時代の色彩豊かな宮古上布を求めて独立。自らの工房を立ち上げます。現在、国指定重要無形文化財「宮古上布保持団体」代表で日本工芸会正会員でいらっしゃいます。新里先生の技術は素晴らしく、宮古上布の牽引者的存在。

実は先生、染織の道へ入る前は、元南西航空のフライトアテンダントだったんですよ!今もお美しいですが、飛行機に乗っていらしたころもさぞやお綺麗だったことでしょう。

さて、先生の工房へお邪魔すると、織りに必要な様々なアイテムがディスプレイされていました。午後から取材があるということでのご準備。そんな大変お忙しい折、わざわざ時間を作って下さりお話をしてくださいました。

まずはこちら。先生が染めた糸たち!

宮古上布と言えば藍色!という世界から、宮古島の鮮やかな色を染めたいんだ!と脱藍!を試み独立された先生は、鮮やかな色、柄の宮古上布を制作されてます。そんな先生ならでは!様々なカラフルな色の糸が並んでいました。

こちらも糸。全て宮古上布を作る糸ですから原材料は苧麻です。前述しましたが、宮古上布はとにかくこの糸の確保が何よりも大事。だって糸がないと織れないわけですから。

中央にある生成りの糸が、染める前のもの。一番右が宮古上布の藍色です。まずは、ある程度の種類と量の糸を染めてから、どんなものを織ろうか、と検討を始めるのです。

新里先生は言います。

「素材に合わせた仕事を心掛けているの」

これはどういうことかと言うと、年々良い苧麻の糸が手に入らなくなっている今、苧麻の作り手の立場を考えることが重要ということなんです。かつて、苧麻糸を作るのは農家のおばあたち。農作業の合間や天気が悪い日に生活のために糸を績み、それを売って生活をしていました。

良い糸が潤沢に手に入る時代は、着尺にふさわしい糸だけをよけて、それ以外は使わずじまい。宮古上布は藍染めがメインですが、良い糸というのは糸が染料に染まりやすく、濃い色がきちんと染まる。しかし、そうでないものは染まりにくいため、藍を染める上布については美しい藍色をだすため、糸を選別していたんですね。

あるときそれではもったいないな、と思った新里先生。節があったり糸が太いものも全て使いたい。そうやって先生のモノづくりに対する柔軟性は育まれていきます。太い糸があるなら、ざっくりした帯はどうだろう、節がある糸は、その風合いを生かしてみよう。こうして、あらゆる作品づくりにトライされていくんですね。

これは、先生が初めて自ら制作したという宮古上布です。
矢鱈縞の宮古上布。こういったデザイン自体、宮古上布では珍しいのではないかと思います。

当時、よく着たわ!とおっしゃる先生。

実はきものを着るのが大好きなんだとか!

先生のお話ぶりを見ていると、きものへの愛情、モノづくりに対する愛情がガンガン伝わってきて、こちらも大いに触発されました!

つづく

 

あこや

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