【きもの探訪】勝山健史 糸へのこだわり その⑥ Takeshi Katsuyama : The essence of a work

大きな織機

工房には、織機も。ここで取れた繭は塩蔵され糸紡ぎがされた後、こうして大きな織機にかけられます。この工房で生まれた美しい絹糸は、勝山さんの有水羽絹(うすはぎぬ)という着尺であったり、最近では復元の仕事でその修復に使用するのが主な使途だそうです。

その意味では、この貴重な繭から生まれた糸を私達が身に纏うことが出来るチャンスは非常に少ないわけですが、こうした糸が作り手のもとで生産され、この世にある、という事実が大きな価値ですね。

「あれ、じゃあ、他の勝山作品の絹糸はどうなってるの?」

という疑問があるかと思いますが、これもまた驚き。勝山さんは、工房付近の養蚕農家さんと契約をし、独自に蚕を飼育してもらいその糸をこの工房に持ち込んで、塩蔵し外部の製糸工場に委託して糸にしてもらったものを帯や着尺に使っているとの事!!!!

もうそれだけでも十分すごいことです!!だから、勝山作品は、糸から違うんだということが全般に言えるわけですね。ただし、勝山さんの製糸条件は非常に厳しくイレギュラー対応を製糸工場お願いしている状況なので、なかなか大量に生産することも難しい、という現実があるんだそうです。いずれにしても貴重な糸です。

それにしても大きな織機ですねー!経糸が長ーく張れる使用になっていますね。こんなに大きいのははじめて見ました。

 

着る人も作る人も無頓着になったきもの

この工房で働く職人の方がこんなことを話していました。

「今のきもの産業における繭の現状は、きものを着る人も作る人も、きものに対して無頓着になってしまった結果」

きものも洋服と同じで、本来は目的によってどういった製品が作られるかが考えられるべき。今は着る人自身もきものに対して無頓着で、きものが自分にとってどうなっていったら着やすいか、ということに意識しこだわる人がいない、というのです。現実にきものを着る機会が減り、きもの自体との接点が減ることで、自分の中でのきものに対する知識が減る。外見の華やかさには目がいくものの、微妙な素材感に対しての敏感さがなくなってくる。

一方作り手はどうなのかと言うと、まず、作ることで手一杯でエネルギーを使い果たし、着る人にとって何がベストかを追求する余裕がなくなっている。これは、マーケティングの欠落の話かな。そして、時代の変化で養蚕環境自体に変化があったということもありますが、大量生産、効率生産で、ある程度の質を担保した使いやすい糸を最大公約数として求めた結果、かつての日本にあった繊細な細い糸を産み出す環境は崩壊。そこにきもの需要が激減という時代背景が重なり、需要側である消費者も品質にうるさくなった。様々な状況が重なって、どんどんと絹事情は悪化して行った、というお話です。

そんな絹の未来は憂うべき状況。日本産の絹はなくなる運命なのではないか、とまでおっしゃっていました。ううう(涙)。

しかし、消費者がきものの事をわからない、というのは、消費者側だけの問題ではない気がします。これについては、前々から思うところがいっぱいあって、今度別の機会に書こうと思います。

長々と書いてきましたが、今回、勝山さんの長野の仕事場を見学させて頂けた事は、本当に!!貴重な機会となりました。勝山さん、ご案内ありがとうございました。そして、この見学ツアーにお声掛け下さった青山八木の八木さん、感謝感謝です♪

この勝山さんのこだわりの仕事ぶりがあってこそ、あの素敵なきものや帯が生まれるのだ!という感動が、ますます作品への愛着に繋がりました。勉強になりました!

 

あこや

 

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