染織文化講座 「小紋型を染める」小紋師 藍田正雄 〜その②〜 The lecture of Edokomon by Masao Aida

藍田先生が活動の拠点としていらっしゃる群馬県高崎市。かつては、32軒あった染物屋さんも、手染めをやっているのは、現在は先生の工房のみ。

藍田先生が江戸小紋に出会うのは、昭和40年頃、戦後の高度経済成長期、洋服が庶民の生活衣類の主流となった頃。染物の仕事が激減し、日々の生活にも困窮するほどの時期に、日本橋にあった江戸小紋の染問屋「岡巳(おかみ)」の主人に紹介された小川寛(おがわかん)という小紋師の鮫小紋を見た時に衝撃が走ったと言います。

小川寛は、江戸小紋中興の祖・小宮康助の一番弟子で、特に縞染めに関しては師匠をしのぐ腕前と言われたほどの人物だそうです。鮫や縞のミクロな類を得意とする職人だった彼は、独立後、人形町の染問屋「岡巳」の専属職人の様にして、月に二,三反を染めては納めるといった暮らしぶり。一般市場には広く出回ることなかったようで、それ故”幻の万筋”と呼ばれていたとか。

そんな小川寛の作品に魅了された藍田先生は、小川のもとで修行をはじめることになります。ここが藍田正雄の小紋師のスタートだそうです。当時は、シルクスクリーンやプリント類がどんどん開発されて出てきていた時代で、人間の限界と言われるレベルの作品を制作していた小川寛に魅せられ、これをやってみたい!と思ったそうです。

さて、江戸小紋に欠かせないのが、伊勢型紙。

これは、藍田先生のところで使っていた型彫師 増井一平さん制作の伊勢型紙。ものすごい細かい型に驚きます!この一つ一つを型紙が切れないように手で彫っていくのです。これは引彫りという手法で彫られた極木賊。

こちらが、会場にいらしていた増井先生。

型紙を彫る手法は主に4つ。
錐彫り、道具彫り、引彫り、突彫り。
こちらが錐彫りで彫られた地落ちの梅鶴。

実際、染めたものがこちら。これは先生のお弟子さんの作品。

無数の細かい穴がいーっぱいあいているのがわかりますね!まるで点描画のようです。

こうした型紙を反物に置き、下記のようなへらで糊を置いて染めていくわけですね。こうした道具も職人それぞれが自分でつくるんだそうです。渡職人と呼ばれた人たちは、こうした道具を風呂敷に包んで、工房や工場を渡り歩いたんですね。

最後に藍田先生がお話されたことがとても心に残りました。

伝統工芸である江戸小紋は、大量に作る時代は終わった。問屋から、この型でこの色で50反というような注文は昔と違ってもうほとんど入らない。これからの時代に伝統工芸が生き続けていくためには、その人だけのために作られたきもの、という感覚がより求められてくる。着る人にふさわしい型と色を選び染める、そういった仕事の仕方が必要になってくる。日々の仕事があるから後継者も育てられる。

私、でかいな。。。笑

だから江戸小紋の職人は、染める技法だけでなく、色のことをもっと勉強しなくてはいけない。柄と色が合った時、これだ、という作品が生まれる。

ふむ。そもそもきものは、オートクチュール。並べてあるものから買う、というここ数十年のスタイルに疑問がある人も多い。本当に欲しい人は、自分好みのものを一流の職人さんに作ってもらいたい、そう思うのは当然。値段も時間もかかるけれども、だからこそ、自分に合った物が欲しいんだ、という、ますますきものの世界は二極化していくのだろうな、と感じました。

私も誂えるなら、綺麗な色の江戸小紋が欲しいなぁ。。。それか黒。この渋い色オンパレードはなんなんだろう。それが江戸小紋の特色なんだとは思うし、確かに型で染め抜かれた模様の白が際立つ色である必要があるけれど。渋くてもいいから濁っていない色、あるかなー。

なんて、そんなことをぐるぐる思いながら、帰ってきました。

普段、あまり着ることが無い江戸小紋について、直接、藍田先生からお話を伺え、とても貴重な講義でした。藍田先生、ありがとうございました。

あこや

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