染織文化講座Ⅲ 染織家 築城則子先生「小倉織と色彩美」〜その②〜Noriko Tuiki’s Kokuraori lecture

【江戸時代から続いた小倉織の衰退】
江戸時代から隆盛してきた小倉織は、昭和初期に衰退し、完全に生産が途絶えてしまいます。

なぜ、小倉織は衰退したのか。
①幕末、小倉藩の専売制導入が維持できなくなっていった。
②長州戦争による城下の乱れ。工民の離散。
③自治体として小倉織物会社を設立するも、金融恐慌の波にのまれる。
④重工業地帯への変化。
八幡製鉄所などに代表される重工業が進出し繊維業は消滅する。保護もなかった。
⑤昭和10年代から戦時下供出品として織機解体が進む。
⑥全国で小倉織と称する粗悪品が出回る。

こうした理由が重なり、小倉織は完全にこの世から消滅していまいます。

※こちらの帯は、まるで滝のような印象。美しいです。

【小倉織の復活】
300年以上続いた小倉織は、残念なことに昭和初期に途絶えていまいます。ここから、築城先生と小倉織の復元ストーリーがはじまります。あるとき、先生は偶然小倉織の小さな布の断片に出会います。先生は生まれも育ちも小倉。地元に長年あった小倉織をなんとか復活させたいという想いから、2年近く少ない文献や資料から試行錯誤を繰り返し、1984年に復元に成功します。

草木染した糸を当時のものより細く(当時の3分の2くらいの細さの糸に)し、経糸の数も多くし(2300本もの経糸に使用する)手機で織り、より現代に即した布として再生。小倉織の帯作品を完成させます。先生としては、この復活させた小倉織が多くの専門家の先生方にどう評価されるか、また、意見が聞きたいという想いから数々の工芸展へ出品。様々な賞を受賞し、築城先生の復元した小倉織は充分小倉織の条件を満たしているとして高い評価を得、現在に至ります。

【築城先生の縞】
江戸期にかつて武士の袴として多様されていた小倉織は、袴の代表格である仙台平等と同様に、男性が着るものとしてこまかい細い縞で、特別主張の強い縞ではなかったと、現存する断片の布から推測されます。復元するにあたり、現代で袴を織ったとしても多くの人が使える訳でもない、ということで築城先生は好色二代男にも記述があった小倉織の帯を復元する作品に選びます。帯を作る以上は、女性が締めやすいなめらかさを持ち、丈夫で、当時の袴の細い縞とは全く異なる縞になるだろうと考えたそうです。

そうした帯は、日本をはじめ世界の美術館や博物館で高い評価を受け、パーマネントコレクションとして収蔵されています。

2004年東京国立近代美術館 小倉縞木綿帯「分水嶺」収蔵。美術館のサイトから拝借。

2006年東京国立近代美術館 小倉縞木綿帯「丹心」収蔵 美術館のサイトから拝借。

赤の色調を変えながら横にはグレーを配しているこの帯。なぜ織でこうした美しい縦のグラデ–ションが出来るのかと言うと、小倉織の経糸は緯糸の比率の3倍入っているため緯糸が見えないほどにたて縞がくっきり浮き上がってくるだそうです。

2006年Victoria&Albert Museum(London) 小倉縞木綿帯「瀑音’04」収蔵 築城さんのHPより拝借。

「瀑」という文字は、滝という意味で、滝は先生が好きなもののひとつ。この作品の大きな特徴は、滝の流れというのは全くの不定形であるはず、という考えにいたった先生が、これまでの繰り返す縞、という概念を捨て、全く一度も繰り返さない縞というデザインをはじめて完成させた作品なのだそうです。黒も3種類使い、白から黒に渡るグレーの濃淡はなんと40色にもなるとか!通常の紬などでいわれる経糸と緯糸の交差する織り味とは異なり、小倉織は緯糸を飲み込むほどの経糸の量なので、これほどくっきりしたグラデーションの縞が生まれるわけです。通常の紬では絶対にこうしたグラデーションは出ることはありません。
どれもため息が出るほどの帯。。。縞の表現といえど、ものすごく幅広く、そして色のグラデーション、配色、どれも感動ものです!!



復元の際に、一番苦労したことは、このくっきりと出る縞。これは長所にもなるし短所にもなるということ。この特色というのは諸刃の剣であり、一歩間違えた配色にすると、ものすごく下品なものになる可能性が高い。そうした恐れを常に抱いて制作に取りかかっていらっしゃいます。

【築城先生の染め】
染めた糸が常に常にたくさんあるように、日頃から木綿糸を染めている先生。木綿糸は絹糸に比べて、恐ろしいほどに染まらない。植物性の染料はただでさえ染まらないのですが、更に木綿と言う素材が加わり、染めの作業は帯作りの中で大きなウェイトをしめています。しかし、この木綿の染めを何度も繰り返すという作業のおかげで色の濃淡が微妙な染め糸がたくさん出来るという側面もあり、これらの条件が全て揃って今の作品が完成していると言えます。

【作家性と汎用性】
現在、築城先生が作られる帯は、呉服の流通を通して全国のきもの愛好家に購入される訳ですが、そのためどうしても非常に高価な商品になってしまうという事情があります。小倉織本来の誰もが日常に使えるものを作らなければ、という問題意識はそこから生まれ、汎用品を作ろう!ということで、現在、明治期の先陣に倣い、機械織りの縞の小倉織を縞縞というブランドとしてスタート。先生はデザイナーとして参画。

グッドデザイン賞も受賞。経産省のジャパンブランドにも採択され、世界へ向けて活動の場を広げていらっしゃいます。丈夫で機能性に富み、美しいデザインは世界から評価され注目されています。

Noriko Tsuiki creates not only handweaving obi but also machine-made kokura-ori. She started “Shima Shima” brand for daily use machine-made kokura ori goods such as Furoshiki, cushions, aprons, table cloths etc.

つづく

 

あこや

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