立春の京都旅その⑥~志村ふくみ–源泉をたどる展 at 大山崎山荘美術館 ~

今回の展覧会図録です。

染織家であり随筆家である志村ふくみさんは1924年滋賀県近江八幡市生まれ。

母・小野豊の指導を受けながら織物の研究と制作をはじめ、1990年には紬織の人間国宝に認定されています。90歳の現在もなお、精力的に作家活動を行っていらっしゃいます。きもの雑誌での連載等、作品を誌面で拝見することはあったのですが、生の作品を見る機会としては、今回が初めてでした。

この展覧会は、これまでの志村ふくみさんのヒストリーをたどる構成。彼女の作家活動の流れがよくわかりました。

【セクション1】ふたりの師:青田五良と小野豊
志村ふくみさんが織の世界へ導かれたきっかけは、母の小野豊。豊は、1927年、民藝運動の理念を実践していた上賀茂民藝協団に参加し、思想家・柳宗悦のすすめで、同協団の青田五良から指導を受けていました。この頃、既に日本では、安価で色落ちしない化学染料が主流で、青田は時代にさからい、自ら糸を紡ぎ、草木で染め、手織りで織る旧来のやり方を重んじました。衰退する日本の植物染料による技法を独力で研究した青田は、草木染め復興の先駆けだったわけです。

青田五良【紬着尺】1927-29
豊は、植物染料による仕事を引き継ぐ決心をするも、青田が早世した後、事情が許さず断念。そんななか、17歳の娘、志村ふくみの目に自宅の織が留まり、豊は、娘に青田の染織を伝えることとなります。つまり、志村ふくみにとって、青田と母である豊はともに師と言える存在なのですね。

小野豊【吉隠】1960年頃
これは、母 豊の作品。実際展示されているものは、サイズ感が小さくてびっくりしました。。。汗 そこは驚くところじゃないだろうと突っ込まれそうですが。(笑)

【セクションⅡ】原点からの歩み~創作の60年~
1955年、志村ふくみは、母の指導を受けながら植物染織による染料と紬糸による織物をはじめます。そして、1957年の日本伝統工芸展に「方形紋綴織単帯」を初出品し入選、染織家としての一歩を踏み出します。

これが入選した作品です。モダニズムですね。

京都の嵯峨野に移り住んだ1968年頃から、より多くの染料が取り入れられ、色彩の幅は飛躍的に広がっていきます。それ以前の作品を見ると、藍、グリーン、蘇芳(えんじ)といったものが並んでいますが、70年以降の作品は実にカラフル!!植物染料のすごさを感じます!

志村ふくみ【梔子熨斗目】1970年
この黄色は本当に鮮やかでした!そして型と裾の黒いチェックがまた可愛かった。

志村ふくみ【紫の壱】1974年
美しい気品のある紫とはこのことですね。紫根。

志村ふくみ【紅襲(桜かさね)】1976年
春の色です。春が待ち遠しくなりました。グリーンが配されていることで、洗練されている気がします。紅花。

志村ふくみ【どんぐりグレイの段】1988年
色味がとても好きです。どんぐりグレイって名前もチャーミング。

志村ふくみ【聖堂】1992年
まさにキャンドルライトが織で表現されている作品。グラデーションのブルー地が遠近感を引き立てます。藍。

志村ふくみ【明石】2000年
1990年代後半から取り組まれた「源氏物語」を主題とした作品群の一つ。

植物の色って美しくて優しくて強い、、、こんな色が生まれる瞬間、目は輝き心は踊り、創作意欲がかき立てられるのですね。

※作品は全て図録を撮影したものを使用させていただいています。

つづく

 

あこや

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