奄美大島への旅〜本場大島紬探訪〜 その⑥ A trip to Amami Oshima

奄美大島の歴史

奄美大島には、島独自の年表があるそうです。

このあまんゆの時代、島以外の他との交流が無かった時代の奄美の人々の普段着は、自分で作って自分で着るという時代で、この頃は当然絹織物ではなかったわけです。

あまんゆの次、あじゆの時代は、各地との貿易が行われ様々な文化が交じり合う事で奄美大島は変化していきます。そして、なはゆ時代とは、琉球王国が奄美大島を支配していた時代。そして、やまとゆは、内地(本土)が管理していた時代で、この時代に、大島紬は税金として薩摩藩に納められていました。

上の年表を見ると「アメリカ」と記載されている時代があります。そう、私も知らなかったのですが、第2次世界大戦で敗戦した際、8年間だけアメリカ統治下にあった奄美大島。沖縄本島と同様だったのですね。昭和28年に日本復帰後は、再び鹿児島県の一部として復帰します。

沖縄の諸列島もそうですが、奄美大島もまた、様々な人々に支配され翻弄される歴史を持っているのです。

 

大島紬の歴史

奄美大島では、奈良朝(西暦710−793年)以前から、山野に自生するテーチ木(車輪梅)やフク木などの草木で染色がなされていました。

江戸時代初期には、真綿から紡いだ手紡ぎ糸を植物染料で染め、居坐機(いざりばた)で織った無地、または、縞布であったと言われています。

明治40年頃から締機による織締絣の技法を採用する様になり、世界に類を見ない本場大島紬独特の精緻な絣模様が出来る様になり、大正時代には、大島紬の生産量はピークに達し、まさに黄金期を迎えます。

その後、第2次世界大戦により、統制と減産で壊滅的な状況に陥りましたが、戦後関係者の努力によって急速に復興。従来の泥染大島紬に加え、泥藍大島紬、色大島紬、草木染大島紬等の新商品が続々開発され飛躍的な発展を遂げ、今日に至っています。

 

大島紬の特徴

大島紬は、紬とは言いながらも絹織物です。先染めの織物で、最大の特徴は、「のりばた」と「締機(しめばた)」。

制作工程を追いながらその特徴を理解していきましょう。しかしながら、大島紬の制作工程というのは、非常に複雑!特に、締機に至っては、何度聞いても完全に理解する事は不可能。。。!というレベル。ブログに勉強して来た事をまとめたい!と思いつつも、憂鬱になるくらい(笑)。実際に作り手になって作業をしていかないと、本当に理解は出来ないのではないか、というくらいです。

とりあえず、やってみましょう!(笑)

これが、大島紬の制作工程です。

図案から製品になるまで、通常10ヶ月から1年。分業制で、専門の職人の手から手へと渡り、細かい工程を合わせると約30−40もの工程を経て出来上がります。

この中央に記載されているテーチ木染め・泥染めは、前回のブログにも書きましたね。その手前の作業としてのりばたと締機があります。この作業のもとをたどると、経糸、緯糸とものかすり糸と書かれた糸の工程としてあることがわかります。

大島紬の要である絣。それを生み出す絣糸に施される工程なんですね。簡単に言うと、大島紬は糸自体に柄を付けるために絹糸を綿糸で仮織りをし、それを染めたり加工をし、解いて最後にまた織る、ということをして一つの反物が完成します。

つづく。

 

あこや

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