御召今昔【矢代仁】を学ぶ−その④– The Study of OMESHI

御召の歴史

正直、私自身は御召を着る機会がこれまであまり無く、どんな織物であるかについても深く考察してこなかったので(でもどんなものかきちんと理解したかった!)、今回の勉強会はとても良い機会でした。


※矢代仁さんの明治時代の柄見本帳。全て植物染料で染められていた時代。細かすぎる選手権が開催されていたの?と思うほど、様々な細かい柄が織りで表現されています。糸も細かった時代なのかなー。

①御召の由来

先述した通り、御召という名前の由来は、徳川11代将軍家斉が好んだところからの命名と広く伝えられていますが、御召というのは、御召料(貴人のための衣類の尊称)、御召し物を言い、特定の技法の織物をさす言葉ではありませんでした。

②江戸から明治の御召

江戸時代には徳川家の御召料としてだけではなく、高級絹織物として細縞や細格子、無地といった御召が徐々に富裕な町人たちにも広まっていきます。

明治に入ると、上等な絹織物の御召縮緬が広く庶民の社交着として定着していきます。この頃、フランスからジャガード機が舶載され、縞格子だけでなく、模様が織り込まれた御召が作られはじめます。特に緻密な柄行の風通御召が作られ爆発的に流行。縫い取り御召の登場もこの時代でした。

③大正から昭和の御召

明治末の日露戦争の戦勝気分も手伝い、大正に入るとますます派手やかなきものが好まれ、技巧的で高級感のある御召が作られていきます。昭和の戦前までは、金銀糸や漆糸、ラメ箔糸などが大流行。戦後は全体の洋風化の影響できものの好みも一変、御召も現代好みに合わせて変化し千三が続けられています。
※矢代仁さんの資料から抜粋


※大正時代の見本帳。明治時代のものと比べて、大分雰囲気が違います。そう、化学染料です。当時、導入されたばかりの化学染料を使って織られた御召。時代もこの色を求めていたのでしょうか。ちょっと毒々しい色合いですね。

レクチャーの中で驚いた数字としては、昭和30年代の御召の生産量は1200万反もあったのだとか!!

す、す、すごい!それが現在は、2万反までに減少しているとあっては、業界的にも悩ましい状態かと思います。決して御召業界に限った話ではないのですが、、、。

極端に生産量に変化が現れたのは、“美智子さまご成婚”にあったとのお話は興味深かったです。空前の染め物ブームが到来したんだとか。美智子さまがお嫁入りの際に用意された友禅きものの数々が、当時の女性たちの憧れになったというわけです。いつだってファッションアイコンの影響力とは半端じゃないですね!

つづく。

 

あこや

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